東京園芸資材販売 株式会社
 
◎園芸の歴史
陶器と文化<後編>
講師:カクタニ商店 角谷修治

園芸サポートでは、知っておきたい園芸の話として、色々な情報を提供してまいりましたが、
今回は、園芸とは切っても切れない「陶器と文化」。その後編として、日本と世界の陶器の歴史と
バリエーション。そして地域的な分布についてご説明いたします。









  


最古のものは約9000年前からともいわれていて、きわめて長期間にわたると考えられていますので、
時代の推移とともに土器の文様や器形に大きな変化があり、最初のころは深鉢形のものが作られ、
中期以降になると貯蔵容器、注口土器、食物を盛る器など各種のものがあらわれてきます。
文字通り、縄目があるのが特徴です。





弥生土器の名前の由来となったのは、東京本郷の弥生町向ケ丘貝塚(弥生町遺跡)。
ここで1884年に採集された土器がもとになって「弥生式土器」と名前が付けられました。




弥生時代を稲作の開始から古墳が出現するまでと定義した上で、
弥生時代に使われた土器の総称という意味で使われているそうです。





 

土師器・黒色土器・須恵器等が作られました。




 1万年も続いた野焼きの時代が終わり、窯で焼成する焼物それが須恵器です。
 焼成温度が飛躍的に伸びた古墳時代の土器には、土師器と須恵器の2種があります。
 縄文・弥生以来の技術的伝統を受け継いだ赤焼きの土器を土師器といい、
 青灰色の硬く焼きしまった土器を須恵器と呼びます。







中国陶磁に倣って作られた奈良時代の三彩や平安時代の緑釉陶器が現れます(陶磁器の始まり)。




常滑、備前、丹波、信楽、越前の焼き物が現れ始めます。
穴窯時代 (平安末期より桃山時代) 素朴な無釉の焼き締め陶器が焼き続けられています。





瀬戸焼が現れました。




唐津焼・織部焼等が始まったといわれています。




磁器(伊万里・鍋島・九谷等)が中国から取り入れられ、京焼、萩焼もこの頃始まります。




登り窯が使われ始めます。登窯(江戸初期期より) 穴窯より高温で焼ける様になり、
多彩な装飾技法を駆使した種々の施釉陶が作られました。




トンネル窯、シャトル窯により短時間焼成が可能になり、
ローラーマシーン等の機械化により大量生産が可能になりました。









白い長石の粒が無数にあり、発色が多く華やかな緋色も特長です。



信楽は、日本六古窯の一つで1250年の伝統を誇る日本最古の産地で、その始まりは、
天平14年(742年)聖武天皇が紫香楽宮の造営に着手されたときに、布目瓦、汁器の須恵器を
焼かれたことに始まり、その後、水がめ、種壷、茶壷、茶器、徳利、火鉢、植木鉢など大物から小物に
至るまで信楽焼独特の「わび」「さび」を残し今日に至っています。
時代別では、室町・安土・桃山時代には茶陶が盛んになり、さらに江戸時代には茶壷の生産が盛んとなり、
商業の発達に伴い、日用の雑貨類(梅壷・みそ壷・徳利・土鍋等)が造られるようになりました。
明治時代になると、うわぐすりが研究され火鉢生産が盛んになり昭和30年代前半まで
主製品(日本国内のシェアは約80%位)でした。
その後、植木鉢や花瓶等が生産され現在に至ります。
最近は、傘立・タイル・庭園用品(テーブルセット・燈籠・照明具)・食器・置物などいろいろと
生産されています。中でも「狸」の置物は有名ですね


    






粒子が粗く砂っぽい。淡褐色から褐色で艶は少ない。



平安時代末期(12世紀)には、常滑を中心にして知多半島の丘陵地 のほぼ全域に穴窯が築かれ、
山茶碗や山皿、壷などが作られました。室町時代に入ると窯も地下式の穴窯から、
半地上式の大窯に改良され、製品は褐色の自然 釉の真焼け、赤物と呼ばれた素焼きのカメを
はじめとする日常雑器が多くなりました。
朱泥の急須などは江戸時代の終わり頃に中国の焼き物を手本として作り出された製品です。
窯は、連房式登窯が現れ、土管、火鉢、 盆栽鉢なども加わりました。
明治時代になって、倒炎式角窯が使われるようになり、燃料も薪に代 わって石炭が使われるようになりました。
釉薬をかけたものが多くなり、 食塩焼き(食塩釉)も出現し、土管、焼酎瓶、建築陶器(煉瓦、タイル)、
衛生陶器も作られるようになりました。
以後、技術は急速に進歩し、窯の燃料も重油、ガス、電気の使用が多く なり、トンネル窯、シャットル窯などが
主流となりました。現在は、花器、 置き物、園芸鉢、食器など多様製品が生産されています。









瀬戸焼は、鎌倉・室町時代には唯一の施釉陶器の産地で高級品が焼成されました。
美濃焼も同じ頃、瀬戸の釉薬技術を発達させ懐石料理等の器形や文様観賞用をそなえて
創り出されたもので、両産地は江戸前期にかけては、有田焼等に押されるが、瀬戸新製焼を起こしてからは、
活気を取り戻し、今では食器、置 物から、建築・工業用まであらゆる種類の陶磁が焼造されております。


 






最もきめが細かくねっとりした土。
黒褐色が基本だが、窯変で明るい緋色も出て、艶が強いのが特長です。









備前についできめ細かく、焼くと明るい褐色が多く艶があります。








常滑と酷似するが焼くとやや艶がでます。近隣に加賀焼もあります。










愛知県の三州陶器瓦の産地でもある碧南市・高浜市と周辺地域で生産されている陶器類は、
歴史はそれほどありませんが、良質な三河周辺の粘土を原料にして製造されています。
粒子が粗く砂っぽく淡褐色から褐色で艶は少ないのが特長で、
火消しつぼ・こんろ・各種かまど・ホ−ロク・火鉢類等の日用品のほか、三河の植木鉢として定評のある
素焼鉢・駄温鉢・菊鉢などがあります。
特に駄温鉢等の重ね焼は三河が元祖と知られていて、三河陶器は通気性、浸水性に富み
植物に最適だとされています。
この他にも、圧力鋳込機や最新の特殊プレスなどを使用して製造される良質な盆栽鉢や、
京楽系の技術によって作られる豪華な万年青鉢や蘭鉢など、その製品の種類は多岐にわたっていますが
、いずれの品物も全国各地需要家の要望を具備したもので、大変に好評な製品ばかりです。
植木鉢製法におきましては、ローラーマシン製法にいち早く着手し常滑、信楽に勝るとも劣らぬ程の
生産量を誇っていて、近年一番元気のよい陶器業界のニューリーダー的産地と言えます。







四日市万古焼は、江戸時代元文年間(1736〜1740)に三重県桑名市の商人沼波弄山が茶の趣味が高じて、
現在の三重郡 朝日町小向に窯を築き自分で茶器を焼き始めたのが始まりとされています。
昭和53年に、四日市萬古焼の急須は伝統的工芸品に指定され、現在でも、朱泥や紫泥の急須を中心に、
様々な風合いのものや、玄人好みの煎茶道具などもつくり続けています。

  

植木鉢も小ぶりな山野草鉢中心にナマコ色の長角盆栽鉢などを製造しております。




唐津焼とは秀吉朝鮮出兵を機に大人数移住してきた朝鮮の陶工達が、
現在の唐津市の南、東松浦郡、伊万里市、武雄市、有田市や佐世保市に100以上の釜を築きました。
以来、茶碗、大皿等が洗練された絵付けをつけ陶磁が焼成されており、
この唐津焼が後の有田焼、伊万里焼の近世陶磁の発展を促していると言えるでしょう。


 




一般に京焼とは京都の諸窯で江戸時代に焼かれたものが言われていて、
明治から現代のものは清水焼と称されます。
また楽焼の系統は別格の独立した焼き物とみなされます。
京焼は色釉が厚く盛り上げられてべた塗りする伝統技法を持ち合わしているのが特長です。







益子焼は今から150年前から徐々に盛んになり、それ以前からの古い歴史はあるようですが、
益子の時の藩主大関候の物産奨励のもとに、製造方法も漸次改善され隆盛の礎が築かれました。
日常雑器を中心に生産されました。現在でも、各地から作家が集まり陶芸にいそしんでいます。







約400年の伝統を持つ萩焼。大道土主体の白色または淡黄色系の粘土と、
鉄分を多く含む赤土系の粘土があります。
萩焼の土は耐火度が1700℃以上と言われ、1200℃前後の本焼温度では殆ど焼き締まりません。
そのことが土の風合いを多く残すことになり、軟らかい土味と吸水性を保ち、使うにつれて「萩の七化け」と
称される茶渋による色変化を伴います。最近の萩焼は時代にマッチした斬新な商品が多いようです。











土はきめ細かく侵水性もあります。
焼成温度は950度ほどで意外と低く、寒さ、汚れ等に弱く、白い粉をふくこともありまが、
それが、いい味わいを出しているという愛好家もいます。
シンプルなポットが多く、定番的な商品が多いです。







イタリー鉢より焼成温度が高く1150度ほどで焼かれています。
きめが細かく、一見プラ鉢のように見えるほど、浸水性も持ち合わせておりますが、
イタリー鉢より少し割高で、あまり市場には出ていません。






先進国のポットには珍しいですが,手造りのテラコッタが非常に有名です。
特にウィッチフォードというテラコッタメーカーはクラシックな鉢を中心に全世界にハンドメイドテラコッタを
広めています。値段はかなり高めですが・・・






白っぽい色合いの鉢を中心に縄目等の柄を使った商品が多く、
重量感もそこそこあります。値段も思いの他高めで、汚れやすいという欠点もあり、
見た目のイメージよりも市場にはあまり出なくなっています。






鋳込み商品、型押し商品、テラコッタ、釉薬商品と、さまざまな商品を作成できる工場があります。
商品にはよいものも多くなっておりますが比較的、寒さに弱いという短所を持っています。
特に鋳込み商品は薄めにできているのでもろさが目立ちます。





 

ほとんどの商品がロクロを回して作られる手造り商品です。
また、土も荒めになっていて、素朴な風合いが出て商品に親しみを感じさせます。
最近では、塩焼きのテラコッタがレトロな風合いをかもし出し人気があります。
焼成温度も素焼で900度前後、塩焼きで1100度前後で、厚みもあるので、比較的丈夫にできております。







ヨーロッパの資本により型を使った比較的進んだ工場を持ち、特に釉薬を使った、
さまざまな柄があります。焼成温度も1200℃ほどあり、しっかりしておりますが
意外と日本の市場に馴染んでないのが現状です。





 

世界の模造品工場とでもいえるようなさまざまな陶器が生産されています。
もちろん、中国古来からの伝統ある陶器もあります。品質は一時よりはよくなっておりますが、
まだ熟慮の余地はあるようです。





 

意外と歴史が長く、新石器時代から現代に至るまで
幾たびか盛衰を繰り返しながら優れた土器や陶磁を多種にわたって生産してきました。
特に高麗青磁は朝鮮文化の 生み出した結晶として世界に誇っています。
しかしながら高麗時代中期以降は、あまり評価されず現代では、あまり知れ渡っていないのが現状です。







まだ、日本にはなじみが薄いですが、首都ヤンゴンの北に陶器の産地があり、
少量ですが日本の市場にも入りつつあります。しかしながら、商品の品質は今ひとつで、
輸送手段も困難なので、まだ市場に広まっていないのが現状です。




文明あるところに陶器ありといえるほど、
陶器の産地は何らかの文明が発展して来た地である事は間違いありません。






   陶器産地名  主な地名等  主な陶器の種類
1 蝦夷焼 北海道函館市 日常雑器
2 益子焼 栃木県益子町 日常雑器
3 笠間焼 栃木県笠間町 日常雑器
4 美濃焼 岐阜県美濃市 日常雑器
5 瀬戸焼 愛知県瀬戸市 日常雑器
6 三河焼 愛知県碧南市 植木鉢・瓦・レンガ・コンロ
7 常滑焼 愛知県常滑市 日常雑器・土管・急須・植木鉢
8 万古焼 三重県四日市市 日常雑器・植木鉢・花器
9 信楽焼 滋賀県信楽町 日常雑器・植木鉢・花器・傘立て・狸
10 伊賀焼 三重県伊賀町 日常雑器
11 丹波焼 兵庫県多紀郡 日常雑器
12 越前焼 福井県丹生郡 日常雑器
13 加賀焼 石川県加賀市 日常雑器
14 備前焼 岡山県備前市 日常雑器
15 萩焼 山口県萩市 日常雑器
16 唐津焼 佐賀県唐津市 日常雑器
17 有田焼 佐賀県有田市 日常雑器
※日常雑器 毎日の食事や、部屋にお花をあしらいたい時など...ちょっとした生活の彩りに使いたい
 陶器の焼き物の総称。





三河焼 比較的新しい産地で、近年の植木鉢産地としては実は先駆者的な位置付けをされています。粘土質は、多少荒めになっているので、通気性、浸水性においては抜群によく、植物には最も適している陶器鉢といえます。価格も他産地に比べてリーズナブル、種類も豊富です。
信楽焼 歴史的に見ると最も古い陶器の産地で、釉薬、焼成において特殊な製法を持ち、微妙な風合いで人々を楽しませてくれます。粘土質はきめ細か、釉薬鉢中心の高級鉢または山草鉢が主に生産されています。
常滑焼 信楽同様歴史がある産地です。知多半島独特のきめ細かい朱泥の土により主に生産されていて、急須等の製造が盛んです。





 
陶器産地国名 
1  韓国(朝鮮文明)
2  中国・台湾(中国文明)
3  ベトナム(ベトナム文明)
4  タイ(タイ文明)
5  フィリピン
6  インドネシア(ジャワ文明)
7  ミャンマー
8  ギリシャ(ギリシャ文明)
9  イタリア(ローマ文明)
10  ドイツ(西欧文明)
11  イギリス(西欧文明)
12  スペイン(西欧文明)
13  ポルトガル(西欧文明)
14  エジプト(エジプト文明)
15  メキシコ(アステカ文明)
16  ペルー(インカ文明)










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