東京園芸資材販売 株式会社
 
◎園芸の歴史
家庭用園芸肥料の進化
講師:ハイポネックスジャパン テクニカルサポート室長 吉田健一



昭和58年当時、急速に家庭園芸が普及する中で、家庭園芸用の肥料が増加していきました。
それにともない、従来の肥料公定規格では合致しない新しい肥料の製造、輸入への対応が
難しくなってきました。そのため、家庭園芸用肥料の規制枠の緩和、拡大を目的に
「家庭園芸用複合肥料」の規格が制定されました。

市販の肥料は、一般に農産物をつくるために使う肥料を「農業用肥料」、
趣味を目的として供される肥料を「家庭園芸用肥料」と位置付けています。
「家庭園芸用肥料」は肥料取締り上、容器または包装の外部に「家庭園芸専用」と明瞭に表示したもので、
かつ正味重量が10kg未満のものをいいます。

「家庭園芸用肥料」は「農業用肥料」と目的が異なるため、・ 薄い濃度でも販売できる ・ ビタミン等が
使用できる ・ 保証表の記載が簡略化できるなどの規制緩和が講じられています。
これらの消費者ニーズ、便利性、用途を考慮した規制緩和の推進には、
昭和59年に設立された「家庭園芸肥料協議会」(初代会長 村上博太郎)の功績が大きくかかわっています。

「家庭園芸用複合肥料」の生産、輸入量は下表に示すとおり伸び続けています。
大阪で開催された「花博」(1990年)以降、ガーデニングブームなどが起こり、家庭園芸が普及するように
なりました。それにともなって、生産・輸入量が大幅に増加していることがわかります。

  昭和60年 平成3年 平成4年 平成5年 平成6年 平成7年 平成8年 平成10年
生産量(t) 13 2,504 3,084 3,749 3,696 4,108 4,427 5,155
輸入量(t) 51 137 103 198 289 301 416 551





1950年代

昭和30年ごろより家庭園芸は始まりました。このころ観葉植物の営利栽培も始まりましたが、
一般家庭までには普及せず、家庭の盆栽、キク、花木等に使用されていた肥料は、ほとんどが油粕や骨粉等に
代表される有機質肥料の単品物で、鉢土の上に粉のまま施用する「置肥」の方法がとられていました。

このような家庭園芸への関心が低い時代に、どのような場所でも、
植物の種子さえあれば植物を育てることができる「水溶性の粉末液肥」が日本に上陸しました。
これは当時、進駐軍の清浄野菜の水耕用肥料として日本に持ち込まれ、
昭和26年に販売されるようになりました。
この「水溶性の粉末液肥」が、現在も市販されている「微紛ハイポネックス」です。
このような水に薄めて与えるだけで植物が生育する画期的な家庭園芸用肥料は、当時は贅沢品であり、
普及するまでには至りませんでした。しかし、現在の家庭園芸用肥料の中核をなす「液肥」が登場したことで、
家庭園芸の時代の幕開けとなったのです。

1960年代

昭和48年に「趣味の園芸」が創刊され、日本の家庭園芸をリードしました。
それとともに「サツキのブーム」が起こり、自家製の油粕と骨粉を発酵させたダンゴ状の「置肥」が登場しました。
さらに、発酵油粕を液状にした自家製の「液肥」が趣味家の間で普及していたことが、当時の雑誌等に記載され
ています。

シクラメン、プリムラ・ポリアンサなどの鉢花や観葉植物の栽培が家庭に広がり、有機質肥料全盛時代の中、
家庭園芸用として「液肥 微紛ハイポネックス」が普及しました。
特に、洋ランの趣味家の間で普及していきました。このころになると、文研出版から「観葉植物」などの
家庭園芸向きの専用書も登場し、肥料の正しい使用方法などが理解されるようになりました。

この時代の終わりころには、花壇苗のポット生産が開始され(花壇苗が農水省の統計に登場)、
「元肥」の必要性が理解されるようになるとともに、「マグァンプK」に代表されるような一度与えると長く効く
緩効性肥料が家庭に普及するようになりました。

活力剤「メネデール」が家庭園芸用に登場するのもこの時代(昭和40年ごろ)であり、微量要素として
「鉄」の必要性をアピールしています。

1970年代

高度成長期の中、マンションなど住宅様式が変わり、室内でも植物が生育するのに適した空間となりました。
エアコンのテレビコマーシャルで登場したセントポーリアが室内の鉢花として、また、観葉植物が室内園芸の
全盛期を迎えます。また、ベランダ園芸も脚光を浴び、趣味の園芸にとどまらず、一般の人も広く家庭で園芸が
楽しめる時代が到来しました。

このような時代を背景に、消費者が清潔で使いやすい肥料を求めるようになり、
液肥では粉末タイプから、微量要素入りの液体タイプの原液ハイポネックスが開発(昭和53年)されました。
「セントポーリア用」「観葉植物用」「洋ラン用」などの専用液肥が登場するのもこの時代です。

「微量要素」が認知されるようになった背景にはセントポーリアブームで、ピートモス、パーライト、
バーミキュライトなどを配合した人工培養土に肥料成分として「微量要素」の補給が必要とされたことにあります。

コーティングタイプの置肥「エードボール」、緩効性置肥「プロミック錠剤」が登場するのもこの時代です。

一方、有機質肥料でも、使いやすさの訴求から、そのまま土の上に置く「置肥」として
東商から固形発酵油粕(昭和47年)、レインボー薬品から板状発酵油粕(昭和48年)が発売されました。

まさにこの時代は「家庭園芸用肥料」の黄金時代でした。

もうひとつこの時代に忘れてはならない画期的な商品の登場があります。
それは活力剤のアンプル「レインボーフラワー液」(昭和45年)で、使いやすさと液が減ることが目で見える
ビジュアル効果で、新しい園芸層(初心者層)の発掘、普及につながりました。

1980年代

この時代に入ると、家庭園芸も安定期に入り、鉢物もギフトの時代を迎え、シンビジューム等の洋ラン類、
観葉植物では「幸福の木」等の家庭への普及により、家庭園芸肥料は「置肥」「液肥」等の専用化がさらに進み、
店頭では複数のメーカーの肥料が競合する時代となりました。

初心者層の増加に伴い、肥料も多様化。さらに使いやすさを求める若い女性層をターゲットとした、
そのまま使える液肥「エードポトリン」「ハイポネックス キュート」などが登場しました。
一方、活力剤関係でも、そのまま使える「葉面散布スプレー」が登場しています。

この頃より、ハーブも注目されるようになり、「香」の訴求から有機質肥料も新しいイメージとして再認識され、
定着しました。

1990年代

花壇苗生産システムにプラグ育苗が普及し、それと前後して、「国際花と緑の博覧会」が開催され、
2000万人以上の入場者を集めました。花の魅力が再認識され、特に、花壇苗に注目が集まりました。
そして、流行語大賞にもなった「ガーデニングブーム」の到来を迎えます。

このような時代の背景から、花壇苗の需要の拡大に伴ない「元肥」の普及が顕著に現れ、
「追肥」としての液肥も消費者の間で定着しました。

鉢物も小鉢化に代表されるようにカジュアル化が進み、「置肥」の安定した需要期を迎えました。

ハーブ、野菜などの「健康指向」より有機質肥料が見直され、
家庭園芸肥料も生活に密着した存在として位置付けられるとともに、家庭園芸用肥料も成熟期を迎えます。

2000年代

非常に残念なことですが、2000年の幕開けとともに「ガーデニングブーム」はやや迷走状態となりました。
このような中で、もう一度、植物と肥料の原点を見直し、「オーソドックス」な園芸の基本に戻り、家庭園芸肥料を
考えたいものです。そこに必ず未来があると思われるからです。
園芸業界にかかわる人たちが、もう一度、手を汚し、園芸の楽しみを伝えるとともに、園芸レベルを上げることが
21世紀の園芸を決定すると言っても過言ではないでしょう。











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